年明け1月3日(金)夜21時からの、「マツコの知らない世界新春SP」に宇多田ヒカルさんが出演します!
ヒカルさんは、この番組に出演するためにイギリスはロンドンから来日したそうです。
ヒカルさんは「普段テレビはあまり観ないのですが、この番組はよく観ています。すごくうれしい。ウソみたいです。」と心境を語りました。
それに対しマツコさんは、「観てくださってるのはありがたいけれど、こんな番組に出ちゃダメよ。(宇多田のことは)お母さん込みで好きなんです。お母さんの話をしだしたら、止まらなくなるからね私。」とあいさつを交わしました。
今回は、そんなヒカルさんのお母さんについてまとめていきたいと思います。
【宇多田ヒカルの母親の死】
まず、ご存知の方も多いかと思いますが…
ヒカルさんの母親で有名な演歌歌手であった、藤圭子さんは2013年8月22日に自殺で亡くなりました。
7/5は 藤圭子さんの誕生日です。2013年に62歳で亡くなってから5年が経とうとしています。素晴らしい演歌歌手でした。後は娘の宇多田ヒカルさんに頑張ってもらうしかないですね。
☆ 藤圭子 圭子の夢は夜ひらく
☆ https://t.co/XSaD3GqFNc pic.twitter.com/uIuexP9NoT— 里芋☆もろこし村 (@satoimo23) July 5, 2018
2013年8月22日午前7時ごろ、藤圭子さんは、東京都新宿区の前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。
様々な病気を患っていた藤圭子さんですが、死因は病気ではなく自殺でした。
衣服の乱れや争った跡がないことなどから、新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定されました。
自殺の理由ですが、うつ病のせいだと言われています。
実際に、ヒカルさんは母の死についてこのようにコメントしています。
8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。さまざまな臆測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。
悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。
ありがとうございました。
この文面にある通り、長年藤圭子さんは精神的な病に苦しめられていました。
ヒカルさんは幼い頃からその姿を見ていたと言い、胸中はとても複雑だったことでしょう。
それでも、最後にはお母さんへの愛情と感謝の文面で締めくくっています。
優しい娘さんですね。
そして、一方では違法薬物に手を出していたからではないかという憶測もあります。
その噂の発端は、藤圭子さんは実際に2006年にニューヨークのJKF国際空港で、米国司法省麻薬取締局により、42万ドルにもなる多額の現金を没収されたことがありました。
没収された経緯は、麻薬検査犬による探知後に、現金から微量の違法薬物が検出されたためだで、「現金は麻薬取引に使う、もしくはすでに使われた」と結論づけられ、現金を没収されたそうです。
しかし、本人含め関係者は違法薬物には一切手を出していないとコメントしています。
一方で、長年苦しめられていたうつ病の薬は処方されていたそうで…
このうつ病の薬は過剰摂取や使用方法を誤ると、自殺願望を強めてしまうことがあるそうです。
また症状が弱まったり、一時的になくなったるすることで、薬を切らし、衝動的に自殺をしてしまう可能性もあるようです。
ですので、このうつ病の薬のせいで自ら命を絶ってしまったのではないかと考えられています。
壮絶な半生のまとめ
ここからは、そんな藤圭子さんの半生について詳しくまとめていきたいと思います。
藤圭子さんプロフィール
【別冊・藤圭子さん追悼】きょう9日は藤圭子さんの四十九日。秘蔵写真と動画で昭和を代表する歌手を振り返ります。担当ディレクターやスポニチ担当記者らの秘話も満載です。TAP-i定期購読者は無料でダウンロードできます。 pic.twitter.com/LepT05QeSo
— 毎日スポニチTAP-i (@mainichi_tap_i) October 9, 2013
名前:藤 圭子(ふじ けいこ) 本名:宇多田 純子(うただ じゅんこ) 出身地:岩手県一関市 生年月日:1951年7月5日 死亡日:2013年8月22日(62歳没) |
藤圭子さんの両親は、父親で浪曲歌手の阿部壮さんと、母は同じく浪曲師である竹山澄子さんです。
幼い頃より、門付に同行し旅回りの生活を送っていました。
また、その日暮らしの生活だったといいます。
転々とした生活を送りながらも、勉強が好きで成績も優秀だった藤圭子さん。
しかし、貧しい生活を支えるために高校進学を断念してしまいました。
17歳で訪れた転機
そんな苦労続きの藤圭子さんでしたが、17歳の時に転機が訪れました。
岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。
それから約1年間、初代林家三平さん宅に下宿をしていました。
その後、作詞家の石坂まさをさんと知り合い、石坂まさを氏の自宅で住み込みでレッスンを受けます。
ファーストアルバム、「新宿の女」は20週連続1位、そしてセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録し、計37週連続1位という驚異的な記録を残しています。
前川清さんとの結婚と離婚
引退表明された藤圭子さんを労う 前夫の前川清さんと萩本欽一さん
1979年12月18日 pic.twitter.com/OOHviH35Tq— ゆきちゃん (@marinamiries) March 26, 2018
1971年、当時共に絶頂期であった内山田洋とクールファイブのボーカルである前川清さんと結婚しますが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、1972年に離婚しました。
喉のポリープ手術と両親の離婚、そして引退
1974年、喉のポリープの手術を受けたことで、自身が強みと考えていた声の特徴が失われたと悩むようになり、引退を考え始めました。
その後、最愛の母親を父のDVから守るために離婚させ、それを機に引退を発表しました。
宇多田照實さんとの再婚、宇多田ヒカルが誕生
【今日は何の日宇多田ヒカル】36年前の1983年1月19日は水曜日、午前1時17分に宇多田純子さんが3200gの元気な赤ん坊を出産なさいました。名を「光」といいます。https://t.co/P01joL8Aam #Hikki_Diary pic.twitter.com/aEnYu31aAn
— 宇多田共和国 (@hikkicom) January 18, 2019
前川清さんとの離婚後、1982年に宇多田照實さんと再婚。
当時の宇多田照實さんは素性が明らかではなく、藤圭子さんのマネージャーになるまでは何をしていたかは不明です。
その頃、宇多田照實さんには収入がなかったため、藤圭子さんの貯金を切り崩して生活をしていました。
そして翌年の1月にニューヨークにて、後に世界的な歌手となる宇多田ヒカルさんが誕生します。
藤圭子さんは過去に「網膜色素変性症」を発症し、徐々に視力が低下した出来事を経験したことがあり、「わが子から光が失われないように」という願いを込めて「光(ひかる)」と命名しました。
そしてこの二人ですが、7度に渡り離婚と再婚を繰り返しています。
ある時は、籍を抜いてから2週間後に復縁したこともあったようです。
うつ病と総合失調症の発症
そんな波乱万丈な経験をしてきた藤圭子さんですが、後に「うつ病」「総合失調症」を患ってしまいます。
また、同時に「パニック障害」「人格障害」を患っていたとも言います。
本人も後のインタビューにて、体調不良を明かしています。
2006年9月のテレビ朝日のインタビューでは本名の「純子」で取材に応じ、「私はもう藤圭子でもなんでもない。封印した」「原因不明ですけど、この20年間、吐きまくりの人生です。週に3回は吐いてる。今でもそう。だからどっか悪いと思うんだけど」と体調不良を告白している。「24時間、頭が痛いし、24時間、口の中が風邪をひいた時みたいに38度の熱があるし。体中痛いですね。それから寝られない」などと次々と症状を訴え、精神的にも肉体的にもバランスを崩していたようだ。
ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2013/08/post_2768.html
Copyright © Business Journal All Rights Reserved.
また藤圭子さんがうつ病を発症したのは、ヒカルさんが5歳の頃だったと言います。
幼いながらに、変わりゆく不安定な母の姿を見ていたと思うと…
やり切れないですね。
また、藤圭子さんがうつ病を患っていることは、業界内でも知れ渡っていたようです。
「藤がうつ病を患っているというのは、音楽業界では有名な話だった。人付き合いを避けるようになって対人関係が悪化したり、テレビのインタビューで告白していた摂食障害や吐き気は、うつ病の典型的な症状。以前はかなり強い薬を服用していたようだ」(音楽関係者)
ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2013/08/post_2768.html
Copyright © Business Journal All Rights Reserved.
網膜色素変性症の発症
様々な精神的な病気を患ってしまった藤圭子さんですが、ヒカルさんを出産したころに「網膜色素変性症」を発症していたことも明らかになっています。
どんな症状があるのでしょうか?
網膜に異常が起こり、暗いところでものが見えにくい夜盲(やもう)や、視野が狭くなる視野狭窄、視力低下が見られる遺伝性の病気です。
日本では数千人に1人の割合で発病しています。
発症の時期や症状、進行は様々で、幼少期に発症して40代頃に視力を失ってしまう重症な例もあれば、発症の年齢が高い場合や、進行が遅い場合では、高齢になってもある程度の視力を維持できている場合もあります。網膜色素変性症の症状は、暗いところでものが見えにくくなる(夜盲)、視野が次第に狭くなる(視野狭窄)、視力の低下などが特徴的です。
引用:網膜色素変性症
この病気を自身が発症してしまったことから、わが子が光を失わないように「宇多田光」と名付けたと言います。
【宇多田ヒカルの母親の死】壮絶な半生のまとめ
今回は、藤圭子さんの死や生い立ちについてまとめました。
まとめると…
*藤圭子さんは、岩手県にて旅回りをする両親に元に生まれた。
生活は苦しく、その日暮らしで成績優秀だったが、高校への進学を諦めている。
*17歳の時に才能を見出され、上京。
リリースした曲は大ヒットを収め、1971年に前川清さんと結婚するも、翌年に離婚。
1974年には父親のDVから母を守るため、離婚させ、自身も歌手を引退する。
*1982年に、宇多田ヒカルさんの父親となる宇多田照實さんと結婚。
翌年1月に宇多田ヒカルを出産し、その頃に網膜色素変性症を発症。
宇多田ヒカルが5歳の頃には、うつ病や総合失調症を患う。
*2013年8月に東京都新宿区のマンションから飛び降り自殺をした。
自殺の原因は、それまで発症していたうつ病や、総合失調症からと見られている。
歌手として成功を収め、一躍、時の人となった藤圭子さん。
しかし、その裏側には壮絶な生い立ちや経験がありました。
ヒカルさんは、2016年に発売されたアルバム「Fantome」など母への思いを歌詞に託して何曲も歌っています。
ヒカルさんの心に、母は生き続けているのでしょう。
今は、藤圭子さんが亡くなってしまったことは残念ですが、ヒカルさんも語ったように藤圭子さんの苦しみからの解放を願います。
藤圭子さんの死を弔うとともに、素晴らしい楽曲を発信し続けてくれるヒカルさんを、これからも応援していこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。